ディスコ・ダブっていいづらい

 毎回ダブ・ディスコって言ってしまう。

 ダブって大体頭につけない?ダブロック、ダブファンク、ダブアイヌダブセンスマニア、ダブダブ温泉…。

 未だにどういう音楽のことを表す単語なのかわかりません。

 メロディポップすぎると思うけれどこういうものなのかね。結局よくわからん。好まれるのはわかるけど、メロディは入らない気がする過激派でした。

シーシェパード続き

 という日記を書いたとするじゃないですか。それは本気で言っていないんですね、まぁ不勉強もいいところだし、酒の席で話すくらいのレベル。

 でもそれを真面目にとってしまうのがネットじゃないかと最近思いました。恋空にしろ、ananにしろ、半分ネタとして読んでいる人もいるのに、なんだかそれに心酔しているようにすべての人を扱ってしまうというか。恋空とか言う前に東スポの方が2億倍やばいぞ?

 あとこういうと、それを真面目に東スポたたきだと勘違いしてしまう人が多い気がする。みうらじゅんを「地方のお土産のクオリティに怒れる人」として扱ってしまうみたいな。

 これの原因はわからないけれど、冷静に考えるとネットって結構しゃれっ気に満ちているような気もしてきた。しゃれっ気のある一人に対しバカ5万人。ネット右翼も馬鹿さ覚悟で極論言っている人が多いと思っています。極論だけどまぁ正しいこともあるでしょ?こういう考え方もあるんですよ、という人が世界に多いと信じる。

シーシェパード

 「日本のことなのに口出しするな」というと、それはそれでまったくお互い断絶してしまうので、出来る限り理解した上で、「でも僕は鯨はおいしいらしいので食べたい」と言いたい。

 『人間vs鯨』か『人間も鯨も同じような生き物』という思考回路しかないんだと思う。食べながら共存していくとか思いつかない。感謝して殺して喰います、なんて理解不明なわけなんですよ。自然とは支配か守るべきものとして徹底的に保護か、のどっちか。で、殺していい、だとついつい絶滅させちゃうから(ちゃんと調べてないけど、鯨をガチでとりすぎたのって欧米じゃない?とても日本人が絶滅させそうになるまで鯨を取り狂う絵を想像できない。)、もう同じような生き物として扱う。だから、「鯨殺す」=「仲間が殺される」、でキれる、と。仲間だと思ったらもう国境やら文化は関係ないですからね。というか感謝しながら殺して喰うのがわからないから、もう「殺す」=「あいつらも俺らと同じように絶滅させる気だ」。

 はっきり言って鯨もイルカも牛も豚もアジも秋刀魚も違いは無いと思いますよ。どっちにしろ食物連鎖なんだから。重要なのは、ほどほどにしておくこと。殺してもリスペクト。あっ、名言きた。

偏見だった

ソロをやる→音の出だしが怖い、音の途切れが怖い、小さなノイズが気になる、などなど→自ずと音響・残響的なアプローチへ

ラップトップの人はそういう不完全さが無いんですね。

どのパートが一番下か

ドラム→ロック、ポップス、ディスコ、ハウス、ファンク、ヒップホップ…
ベース→ジャズ、レゲエ、ファンク、ヒップホップ、アフロビート、ブレイクビーツドラムンベース、ラテン、ポストロック、ボサノバ…

とまとめると、ことごとくベースが土台の音楽を多く聴いていた。(もしくは変拍子で土台が動くやつ)

じゃあジャズでベースが上にくることは無いのかよ?といわれたら、そういう時もあります。

TWIGY

声強いしリズム感も良さそうなんだけど、リズムが単純過ぎてもったいない。大体が一小節で完結するようなフレーズで、小節の頭拍はほぼ必ずアクセントで押しきりましょう、最後八分休符入れてしまっている。基本的に全部八分音符で作っている(十六分裏を使わない限り十六分フィーリングは無い)んだよなぁ
最近は上手くなったのかな?わからん。

フリージャズ

今さらジャズが完璧に自由だなんて思う人なんていないわけだし、重要なのは「モードよりも自由」よりも「フリーインプロよりもどこが不自由か」だよなぁ。いや、まぁジャズの人はわかっているとは思うんですが、個人的な理解としてね。フリージャズを如何に神秘化させないか?